日産 Be-1

1987〜1987年 生産モデル 日産Be-1

1987-1989年Be-1が走った時代 限定生産のBe-1はあっと言う間に完売。投機対象にもなりました。 「時代と寝た女」とは、写真家の篠山紀信氏が山口百恵三の引退に際して彼女を評した明言だった。

百恵さんの芸能人としての活動期間は、わずかに8年。 けれど同世代を生きた全ての人が、彼女と過ごした濃密な時代を思い出し、それぞれに体験したエピソードを語ることができるに違いない。

百恵さん引退の5年後、'85年10月の東京モーターショーに出展され、日産のブースの主役のはずだったMID4をしのぐ大反響を呼んだBe-1は、さしずめ時代と寝たクルマだった。

丸い2灯のヘッドランプを持つかわいい表情を見れば、誰もが華やかなあの時代の自分の思い出を、語りたくなることだろう。 彼が東京の舞台に立つ直前の'85年9月、ニューヨークのプラザホテルで、歴史的な決定が下された。 G5=先進5か国財相・中央銀行総裁会議で、世界の基軸通貨であるドルを安値に誘導することが合意され、急激に円高が進みました。

その当時の社会情勢
それによる経済の停滞を防ぐために、日本政府は大規模な金融緩和策を実施。ダブついた資金が投資先として向かったのが株や土地だった。 バブル経済の引き金はそうして引かれたのである。

現在もそうだが、円高は輸出産業にとっては打撃である一方で、輸入した資源を製品化して付加価値をつける日本の産業構造においては、必ずしも悪い事ではない。 円高はドルに換算すれば、日本の資産が黙っていても増えていく、ということでもあるからです。

その増えた資産を将来的にも増やすために、多くの日本人の目が投資に向いた。あらゆるモノが、将来価値が上がるかどうかで見られるようになり、それはクルマも例外ではなかった。 日本の地価は、モーターショーでの人気を受けてBe-1が発売された'87年までのわずか2年間で倍以上に高騰した。

バカ売れのBe-1
当初は発売予定の無かったBe-1は急遽、短期間で開発されて、生産ラインの制約もあって、1万台の限定生産とアナウンスされた。 その希少性が、投資先を求める人々の目にも留まりました。

発売と同時に注文が殺到し、2カ月足らずで受注を終了。 多くの人が欲しくても手に入らない中で、中古車市場には130万円足らずからという新車価格を大幅に上回る値付けのBe-1が出回ったのだ。 当時のフェラーリなどのスー パーカーがそうであったように、コンパクトカーのBe-1が、投機の対象となってしまったのだ。 登場したばかりの小型車にプレミアムがつくのは、日本の自動車史上でも初めてのことでした。

最先端だったBe-1

主要諸元

高度な技術がなくとも企画と生産技術で最先端だったBe-1 戦後の日本経済は、大量生産、大量消費を前提に成長してきました。 カー・クーラー・カラーテレビの「3C」が新・三種の神話と呼ばれ、誰もがいつかはとあこがれたように、みんなと同じモノを手に入れるという目標が、今日より豊かな明日を夢見る庶民を支えて、 高度経済成長の原動力となりました。

ところが、'80年代に入るとその構造に変化が現れる。豊かになった日本人は、隣とは違うモノを欲しがるようになりやがて本物の価 値や個性にカネを払うようになる。 「大衆から小衆へ」と当時のシンクタンクが名付けたパラダイム・シフトが訪れたのである。

自動車メーカーにも、その変化は否応なく押し寄せた。小型、中型、大型のシンプルなセグメントで、一番売れるクルマを作った者が勝ち、というそれまでのビジネスモデルは通用しなくなりました。

その一方で、株価の上昇で潤沢な資金を得たメーカーには、新しい企画に積極的に挑戦する余裕もあった。大衆を網で一気に捉える従来の小品種大量生産ではなく、他と差別化できる商品で、多様化する嗜好に 細やかに応える術を探る機運が高まっていたんですね。

そうして、アパレル業界のコンセプターの発想を借りて、デザイナーが開発を主導する小規模なプロジェクトが日産 に立ち上がり、そこから生まれたのがBe-1です。 車名の由来は、A,B,C案が出されたアイデアの中で、もっとも社内の支持を集めたのが「B-1」案だったことに由来している。

Be-1の登場当時、いわゆる専門家筋の中には、マーチのメカに新奇なボディをかぶせただけのキワモノと評する人もいた。 たしかに、メカニズム面から捉えるならこのクルマにはそれまでの「アルファード ハイブリッド 値引き」新型車に期待されていた高度な新技術は少なかったかもしれない。

しかし、小品企画や生産技術面から見れば、Be-1はまさに最先端のクルマだった。性能ではなく、感性や共感を武器にし、少ない台数でも成立するように、樹脂製のボディ外板や特殊な生産ラインを開発。

少人数のプロジェクトチームで短期間で生産にこぎつけるというその過 程のすべてが、今日の日本のクルマ作りにつながる革新性に満ちていたのだ。 レトロ調、とざっくりくくられたデザインにしても、誕生から30年を経た今なお鮮度を失っていないという事実を見れば、たんなる懐古趣味でなない、普遍的なスタイルを表現していたことがわかります。

Be-1は浮かれた当時の世相とは裏腹に、実は極めて真面目に、先見の明を持って生まれた1台だったのです。

日産 Be-1

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